お墓には、一族墓、個人墓、一家一基墓などの種類がありますが、一般的には、一家一基墓が主流で、故人一人ひとりの法名を別に明記する墓碑を建てる家族墓がほとんどです。
世間では、墓相学などというものがあるようですが、そのような考え方は礼拝の姿勢を忘れた人間の都合から出たもので、礼拝を忘れれば、お墓は単なるお骨の入れ物になってしまいます。拝む世界、念仏の世界にたったときに、はじめて墓が墓としての意味をもつことになりますので、迷信や言い伝えなどに左右されないようにしてください。墓石の形も、さまざまなものがありますが、浄土真宗の一般的な風習として五輪塔などといった異形のものは使用しません。ふつうの角石塔が、一番いいでしょう。
墓石の正面の文字は、一般的には「○○家之墓」とか「先祖代々之墓」が多いのですが、墓石の正面は拝む対象となりますから、浄土真宗のお墓は「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻むのが原則です。あるいは、縁あった人々とともに浄土に集うという意味で「倶会一処(くえいっしょ)」(倶(とも)に一つ処(ところ)に会う)という『仏説阿弥陀経』の経文を彫る場合もあります。こうした場合、家名を入れたければ、一段下に台石に「○○家」と刻むという方法もあります。ただ、気をつけて頂きたいことは、いずれの場合にせよ、浄土真宗では「霊」という文字は使いません。墓石の側面には、建立年月日、建立者、法名などを刻みます(法名については墓石のそばに法名碑を建ててそこに刻むこともあります)。生前に墓を建立したときに、墓石に刻む文字を朱文字にすることがありますが、これは何の意味もありません。
お墓が完成したら、「建碑式」という法要を営みます。建碑式と納骨の法要をかねて営むことも多いです。なお、一般に「建碑式」のことを「お性根入れ」「お魂入れ」「開眼法要」などという言い方をしますが、浄土真宗ではそういう言い方はしません。
また、お墓参りというのは、亡き人(先祖)を縁として阿弥陀如来を拝むことです。ですから、お墓参りを熱心にされることは結構なことですが、お寺の墓地にお墓がある場合、お墓参りの前には、かならず本堂(阿弥陀如来)にお参りすることを忘れてはいけません。また、お寺の法要にも参詣することも忘れてはいけません。
墓相とは、墓石の色、形、大きさ、お墓の環境、方角などにも「相」があって、その吉凶によって幸不幸が訪れるというものです。しかし、墓相のことについて書かれた本などを読んでみれば、いかに信ずるに足りないものであるかが、すぐにわかります。つまり、そこに述べられている説には、なんら統計的な根拠もなければ、因果関係も明らかにされていません。また、著者によっても主張する説がまちまちで、統一的な脈絡もありません。浄土真宗に限らず、仏教全般からいっても、墓相などというものの根拠は何もないといっていいでしょう。
お墓に吉凶相もなければ、お墓によって人が幸せになったり、不幸になったりすることはありません。
人間の一生のなかで、一つの病気にも、また何の不幸な出来事にあうこともなく暮らせる人など、おそらく一人もいないはずです。人間とは、そういう弱い存在であり、墓相は、そうした人間の弱さにつけこんだ迷信邪義であるということを知っておいてください。だからといって、お墓を粗末にすることはもってのほかです。