5月22日23日の両日、永代経法要をお勤めさせていただきました。両日ともに午後2時より『仏説阿弥陀経』をお勤めをすることから、法要ははじまります。今回の法要より、お勤めの後には数分間、体操をすることになりました。役員さんの先導のもと、軽いストレッチをし、身体も気分もほぐしたので、その後の法話の時間には集中して聴聞することができました。体操(ストレッチ)の時間につきましては、好評でしたので今後も続けていきたいと思います(体操の時間が短かったといわれる方もおられました)。その後、ご法話の時間でした。
まず「永代経法要とは」というお話をしてくださいました。「永代」とはご先祖で、「経」とは教えということで、ご先祖より代々に伝えてくださった浄土真宗のみ教えを聞かせていただき、そのみ教えをまた子や孫に伝えていくこと。つまり、永代経法要とは、亡くなったご先祖や肉親を偲(しの)び、ご先祖より受け継いだ浄土真宗のみ教えを聞かせていただき、それをまた縁のある人に伝えていくという法要なのです。
また、永代経法要におきまして、赤井先生がおっしゃったことには、特に若い人は《偲ぶ》ということを知らないということ、《偲ぶ》という言葉がいずれは死語になる、つまり《偲ぶ》という言葉はこれから使われなくなるのではないかということです。法事などのお参りの意味は、故人を偲びつつ、この私が阿弥陀如来によって救われる身であることを感謝するということであるといいますが、その前提となる偲ぶということを再度、確認していかなければなりません。
そこで、偲ぶということは、どういうことなのだろうか、とあらためて考えますと、故人を偲ぶということは、故人と共にした出来事を思い出すということですね。おられなくなった故人の有り難さを思うことでもあるでしょう。故人は阿弥陀如来のはたらきによって、すでにお浄土の世界に往生されています。怨親(おんしん)平等の境地におられるので、生前中にさまざまなことがあろうとも、故人は遺された人たちの幸せを願ってくださっている存在となられています。もし逆の立場であれば、私がこの世のいのちを終えてお浄土に往生させていただいていたなら、この世に遺った人々には幸せになってほしいと思うことでしょう。本当の幸せとは何かを考えたら、それは浄土真宗のみ教えを聞かせていただくことです。そのような思いになることが故人を偲んでいくということなのではないでしょうか。故人から本当の幸せを願われている私であることを思い、感謝の気持ちで法事に参列するべきでしょうね。