当寺開基は1531(享禄4)年頃と推定されます。
先祖は伊丹の有岡城主荒木摂津守村重の家臣堀八郎と言い、荒木氏没落の後、当村(立花村)に居住し、三反の土地を開拓したことから当地を三反田と名づけられました。
当寺御本尊(阿弥陀如来像)は、その裏書きによると、当寺初代住職浄祐の申し出により、本願寺第十代宗主証如上人より下付されました。
現本堂につきましては、当寺第15代住職祐眞の時、1995(平成7)年6月に竣工、1997(平成9)年10月26日に落慶法要をお勤めしました。一方、旧本堂につきましては、当寺第6代住職祐秀の時、1711(正徳元)年3月15日に御還仏し、落成しました。
また、現在の庫裏につきましては、1997(平成7)年11月に建築を着手し、1998(平成8)年12月に完成しました。一方、旧来の庫裏につきましては、当寺第10代住職祐道の時、1816(文化13)年に再築されたものでした。
さらに、1652(元禄5)年9月には本願寺より親鸞聖人の伝記が描かれている「御絵伝」4幅が下付されました。
また、1873(明治6)年、尼崎市内の小学校の中で最も古い小学校の一つ、立花小学校が出来る前には、西要寺において保性小学校という校名で開設されました。
初代:浄祐 2代:浄祐 3代:祐斉 4代:祐清
5代:祐浄 6代:祐秀 7代:祐賢 8代:祐哲
9代:祐応 10代:祐道 11代:祐成 12代:善乗
13代:祐憲 14代:祐興 15代:祐眞 16代:祐彰